時期なので、デザインを変えてみました。
月が変わればまた元に戻します*
とりあえず、今日感じたことを書くためにスペース取り。
友人と喋った帰り道、阪急三ノ宮の前で、「Free Hug」のプラカードを掲げた人達がいました。
女性と中年の男性二人。英語と日本語で、ハグを求める声を張り上げていました。
そもそも、「Free Hug」とは何でしょう。
発祥は確か欧米、韓国でも盛んです。行きずりの人とハグして別れる、ただそれだけです。ですが、それに大きな意味のある行為です。
プラカードを掲げている人は、精神的にボロボロになった過去があり、自分に自身が持てず、社会生活をまともに営めない人達が多いのです。私も経験があるので分かります、死を覚悟するほど辛い体験なのです。
そんな人達が勇気を出して、都会の往来でハグを求めるなんて、想像を絶する勇気なのです。
私は以前ニュースで韓国の若者が、フリーハグを求めている様子を観ました。コメンテーターは、刹那的な絆ではなく、長く付き合える真の友人を捜すべきだ、などと言っていましたが、それはいささか的外れです。
私は、勇気が出ませんでした。
必死に声を上げる彼らを、抱き締めに行くことが出来ませんでした。
たった三十センチあるかないかの距離で、眼が合ったにも関わらず、行動した後に周囲から向けられるであろう視線に気を取られて、あと一歩出かけていた足が動きませんでした。誰かが背中を指ででも押してくれたなら、確実に行動してただろうところまで、気持ちが向いていたのに。
そう、ハグを求める方だけでなく、見ず知らずの他人相手に応じる方にも、相当な勇気が必要な行為なんです。
それを乗り越えて成立するのです、これほど尊い行為はないと思いました。
あるのは無差別の愛情です。
私は、これに関してはまだ未熟でした。
人の目なんか気にして、愚かですね。もしかしたら、私みたいな人間の些細な行為で、彼らに勇気を与えられたのかもしれない、愛をあげられたのかもしれないのにと思うと、数秒間の内に下した自分の臆病心から来る選択に、後悔を感じるしかありません。
口先ばっかりで、イヤになります。
今後はしなかった報告より、した報告をしたいですね。
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